いざ出陣

19/11/2019:

玄関でバイクブーツを履いた。初めて履いたが足に上手くフィットしている。ドアを開けて外に出ると3月ではあるが、外は寒かった。前日に用意した一泊分のバックをバイクネットで固定した。タンクバックには京都府北部が人目で見ることができる地図を入れておいた。タンクにセットした。白い息を吐きながらヘルメットを被るとシールドが曇ったので、手で持ち上げ、拭いた。朝が早いので周りに音を出さないようにバイクをゆっくりと押しながらアスファルトの道路に出るとともに、すぐにバイクに飛び乗り、セルを押してエンジンを起動した。

A beef bowl

17/11/2019_I went to take lunch at Matuya restaurant, which is famous for a beef bowl in Japan. Just in front of it, there were some menus displayed on the shop window. I noticed one which was a beef bowl and nabe pot with beef, Korean kimuti and tofu. It cost one hundreds yen cheaper than usual. I really wanted to eat it. They served it soon. Its smell made me feel hungry. At first I ate them separately. I found it delisious. Next time, I ate them together. I felt different taste. It tasted also good. Finaly, I ate all soon. I was satisfied with it. Matuya restaurant always serves delicious dishes and the menu convinced me.   

Travel

14/11/2019:Last week I flew to Okayama city. There were no empty seat on the airplane. Half of the passengers were businessmen and others were tourists. The man next to me seemed to a person who enjoys his retirement and to travel there with his friends. They were 6 men and over 65 years old. A man used to be his wife during a travel, but nowadays he enjoys it with his male friends. The more experience he gets, the more enjoyable he becomes. After I got off the airplane, I got on the bus for Okayama station. I felt a little cold outside. I didn't have a coat because it was warm in Tokyo and I thought it would be warmer in Okayama city. After I check in the hotel near the station, I took a walk around here because I didn't do it over 60 minutes which was my routin. I went down to the underground shopping arcade. There seemed to be mush less people, who enjoyed shopping, in Tokyo. I got back to the hotel and took rest. At 7:00 I went down to the first floor and I met one of my old friend who I planned to go for a drink with. We went to the Izakaya which his wife recommended. It's the first time in 7 years to meet him. We enjoyed our time very much. He has the wife and 4 childeren 

目覚め

15/11/2019:

両ちゃんとのツーリングの朝がきた。外は快晴で絶好の旅行日よりだった。前の日に荷物を整えていたので、あとは朝飯を食べて出掛けるだけだ。いつものように出発時刻のかなり前に準備ができていた。朝の6時に起きると決めていると5時55分には目が覚めた。7時ならば6時50分に目が覚める、という感じにいつもなった。それをすごいことだと思って自慢していた。あるときに起きる時間に神経が集中していてよく眠ることができていない現象であると説明された。本当はもっと熟睡しないといけないのに、起床時刻に神経質になっていて熟睡できていないということだ。ショックを受けた。起きる時間直前に自然に目が覚めるという特殊能力と思っていたが、そうではなく神経質なだけであり、そういう人は結構な数いるということだ。それよりも、目覚まし時計で起きるような人の方が睡眠による疲れはとれているらしい。それから、目覚ましがなるまで寝るように努めてきたが、上手くはいかない。

お前は何をするんだ!

14/11/2019:公園のベンチに腰を掛けた。眞人は横になって星を見ている。綺麗な夜空だった。「俺、こうやって呑んで友達と叫びながら、鴨川を歩いて帰りたかったんだ。酔っ払って肩組んだり、タックルしたりして人生を語りながら、公園で寝そべってそれを眺めたら、綺麗な流れ星がながれている。そういう、映画のワンシーンを絶対に取る。」全てが映画につながっていく思考方法となってきた。青春映画を取りたいんだろう。タックルはご免だが、いやな気はしない。「俺は何しようかなぁ。。。。。」と言った。「お前は何するんだよ。」いやな質問がきた。やることを探している自分だった。橋の手元にきたので、河原から上っていった。「楽しかったよ。ありがとう。またな。」といって別れた。楽しい酒を呑んだ。こういう酒は滅多に無いと思う。しかし、”お前は何をするんだよ。”という言葉が頭に残っている。酔っ払うとひとつのキーワードが頭にこびり付いていくことがわかってきた。たいがいそれは、否定的な内容である。”こうしたらいい”とか”なんでこんな話をしたのだろう”とかいうことだ。しまいには絡んでしまう。そういうことは止めた方がよいと思う。酒は恐いと思う。最初からやりたいことが見つかっている人は”幸運”だと思う。例え上手くいかなかったとしても、自分で選んだことだから後悔は少ない。自分でやりたいことを見つけることが重要だ。人から言われることでは無い。

決定

13/11/2019:千鳥足の二人が鴨川沿いをあるいている。酔っているから大丈夫だが、肌寒い。緩い上り勾配を大声で叫びながら歩いている。途中のベンチで止まったりして、、、、、、「映画監督になればいいやんけ?」「映画監督なんか簡単になれるわけないだろ。」それはそうだと思った。「どうやったらなれるんだろう。」「俺もよく分からないが、今の延長線上にないことは確かだ。」それならなんで大学に来たんだろうと思ったが、夢と現実は違うことは良くあることだ。映画を作ることは芸術家のようであり、才能が必要である。大多数が夢で終わってしまうし、夢を実現させようとしてその道を進んでいっても、ほとんどがゴールに到達できない。到達できるのは4%くらいの人だろう。だから、夢なのである。もし、なることができなかったときの保険として大学にいくということは現実的であり、賢い選択である。悲壮感がない夢への挑戦である。「趣味でやったらいいんじゃないの。それかテレビのプロデューサーになるとか。」「プロデューサーということは考えている。NHKとかに入ってドラマとかを作ることだ。映画ではないが、今はドラマの製作が面白いと思う。」「そう、それで上手くいったら、ヒット作を連発したら独立したらいいんじゃ無いの?」「それいいね!そうしよう。お前頭いいな!」眞人の将来が決まった瞬間だ。

黒澤明

12/11/2019

少し歩いたら鴨川だ。「お前が映画監督になりたいなんて知らなかったよ。」「映画は芸術だ。敗戦のあとの絶望的なときに、日本に希望のひかりを与えた重要な二つがある。それが何かわかるか?」酔っ払ったときの鉄則であるが、聞き役に回ったら負けだ。もう俺はLoserということだ。諦めよう。「勤勉さかなぁ。あとは朝鮮戦争による特需、、」といったところで酔っ払いが遮った。「あほ!優等生の答えをいうか。」といって、頭を軽く叩かれた。頭にきた。でも、我慢して眞人の答えを聞きたくなった。「湯川秀樹ノーベル賞黒澤明の金獅子賞だろう!」ノーベル賞はわかるが、黒澤明の金獅子賞とは何だろう。「黒澤明は世界的な映画監督だし、親父は尊敬していた。金獅子賞ってなに?」と言ったら、眞人に怒られた。「自分で調べろ!とにかく、戦争に負けて打ちひしがれていた日本人に希望の光を与えたのは黒澤明湯川秀樹だ。俺はどちらかになるためにこの大学に入った。入ったはいいが、勉強では分が悪い。俺が一日掛けて理解した経済学の本をあいつらは授業中に理解し、教授に質問をしているんだ。そういうゼミの毎日を繰り返していると悔しさを通り越して才能がないのではと思ってします。」こいつは呑んでいくとカラミ酒になるみたいだ。「経済で重要なのは数学だ。あとは英語だ。経済学はアメリカが最先端だ。アメリカの論文を読まないと話にならない。英語ができないとだめだ。英語は自信がある。それは負けない。」「まだまだ時間はあるので数学を勉強して、英語はもっと勉強して経済学のテキストを勉強すればよいのでは。」といった。眞人は、「そうだな。でも映画監督は人生のあり方や自分の思い描いていた人生を映像という形で作品にできる。まさに芸術である。そういう道を極めたい。」