金閣寺

朝早かったのでいつものようにバイクを手で押して大通りまで出て行った。北に向けて走らせ、線路踏切でつかまらないで横断した。右手に小学校が見えてきたので信号で左折した。道なりに真っ直ぐ進むといつも行くバイクショップがあった。まだ、開いていない。駐車している車の屋根の上には多少雪が残っているが、道路にはないので安心してスピードを出すことができる。遠くの山は雪化粧で真っ白である。心が高鳴った。嵐山の雪化粧はどれだけ綺麗なんだろう。バスターミナルを過ぎて有名な私立大学の付属学校が見えた。さらにいくと大徳寺があった。高校の修学旅行でいった。和尚さんの講話があったが、感動したことを覚えている。世間知らずの生意気な高校生が感動するのであるから、そんなに複雑なことではないと思う。もう一回いってみたいと思った。京都の魅力の一つが子供心に刻まれたと感じた。「寺に寄り道するか?」気温が高くなると嵐山の雪が溶けてしまう。寺はいつでもいけると考え、スロットルを回した。大通りを右折して少し狭い道に入る。回りの景色が途端に変わっていった。木々が見えてきて、寺が多くなってきた。金閣寺の石段が見えた。立派だとおもった。ここも修学旅行でいったが、やはり圧倒された。ただの寺だと思っていた。日本史で出て来て名前を知らない人はいない。実家の近くにも昔からの建物は多い。太宰府天満宮は神社であるが、昔からの建物であり、境内では土産物屋が並んでいて、昔からお参りや初詣にいった。初詣では1時間以上待つこともざらだった。それでも、帰りに境内で食べるお汁粉やうどんの味は格別に思えた。しかし、金閣寺はそれとはことなる畏怖を感じた。行く小道を歩いて行き、寺を囲む池を見た。水面に金閣寺が見えた。近くにいったときに感動した。何か分からないが、簡単に割り切ってはいけないものであるという気がした。帰ってから、三島由紀夫が書いた小説”金閣寺”を読んだ。人生の酸いも甘いもわからないただの高校生には全く理解できない内容だった。