牛丼

気が付いたら、窓の外が明るくなっていた。腹が減ったので、吉野家の牛丼を食べようと思って、外に出た。なか卯も美味しい牛丼屋である。京都発祥の店である。なか卯の方が近かったが、今日は吉野家の気分である。遠い方が、バイクに乗る時間が少し長いと思ったからだ。ヘルメットを持ち、静かに表通りまでバイクを手で押していった。朝方にエンジンを掛けたら回りの家の人に迷惑である。駐車場を通って石畳の狭い路地を抜けていった。新聞配達店は明かりが点いている。配達時間なので一番忙しいところなのだろう。自分もいずれは仕事をするとそういう生活、時間に追われた仕事をするのだろうか?と漠然と思った。そんなに嫌だとは思わないが、そういう生活をすることに理由が必要な気がした。大学生というのは不思議な立ち位置だ。勉強が好きで研究することが性に合っているという人には才能と努力が必要であるが、それは目的のための一過程であるはずだ。しかし、大多数の人にとっては、学問を一生涯続けていくことはない。大学卒業という資格を有し、社会に出て、仕事をして生計を立てることが多くの学生の目的である。そういう風に割り切っている学生にとっては、自由になる重要な時間である。自分はどうなのかと考える。中には自分のやりたいことを見つけることができる運の良い人もいる。そして、社会に出てそれを極めていくことが一生の仕事であるという人もいるかもしれない。一旦社会に出るとそういうことを考える時間もなく、日々の雑事に追われる。若いころは仕事を覚えることと将来の伴侶探しに翻弄される。モヤモヤと答えのないことを考えながら、がらがらの道路を運転して、牛丼屋に着いた。同じような学生が3人いた。孤独に牛丼を頬張っていた。自分もその一人かと思った。大盛を頼んだ。すぐに来た。いつものように丼の隅っこの牛肉を真ん中に寄せ、ご飯が顔を出したところにショウガを山のように載せる。牛肉とご飯を食べて、ショウガを口の中に入れた。旨い。チーズのような味がした。北大路通りを通って衣笠を抜けて、嵐山の渡月橋でバイクを停めた。朝日に照らされた山並みが綺麗だった。